泉龍寺文化財略年表 |
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西暦 |
和年号月 |
事項 |
史料(文庫に展示中) |
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5000年~4500年前 |
縄文時代中期の住居址 (狛江弁財天池遺跡) |
発掘された土器 |
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5世紀 |
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経塚古墳 |
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(765) |
(天平神護元年) |
相模国の良弁が、霊夢によってこの地にきて、寺を草創した。
良弁は請雨の修法をしたという。 |
「鉄叟禅師縁記」
「由緒口上覚」 |
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(949) |
(天暦3年) |
増賀が回国してきて、法道仙人の作なる聖観音像を安置した。 |
「鉄叟禅師縁記」 |
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(958) |
(天徳2年) |
村上天皇の勅命により雲松山泉龍寺の号を得た。 |
「鉄叟禅師縁記」 |
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1393 |
明徳3年6月11日 |
阿闍梨長弁が、法華経如来寿量品の偈を刻んだ板碑を建てた。
この板碑は、経塚の上に立ち、江戸時代「良弁」と読まれていた。 |
板碑現存
「江戸名所図会」 |
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1441-48 |
嘉吉・文安年中 |
乱世となり、草蘆一宇に本尊聖観音像をまつるだけとなる。 |
「鉄叟禅師縁記」 |
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曹洞宗通幻派の桂破泉祝が景観を愛で、霊夢により、安居結制を執行して
1000余人の雲水を集めたという。 |
「鉄叟禅師縁記」 |
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曹洞宗太源派の鉄叟瑞牛が泉龍寺の住職となる。 |
「鉄叟禅師縁記」 |
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1590 |
天正18年 |
石谷清定が、徳川家康から多摩郡入間村に150石、泉村に100石を与えられ、
泉村に陣屋(下屋敷)を構えた。 |
「鉄叟禅師縁記」
発掘調査 |
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石谷清定(-1601)が、鉄叟瑞牛を崇敬し、仏閣の修理に着手し、 |
「鉄叟禅師縁記」 |
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池に中島を作り、宮殿を建て蛇形の弁財天像を彫刻して納めた。 |
木造弁財天像 |
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1599-1609 |
慶長4年-14年 |
小泉次大夫が、家康の命を受けて、六郷用水の掘削を開始した。 |
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六郷用水は、境内地を斜めに通過する。 |
境内坪数・諸堂絵図 |
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1606 |
慶長11年5月2日 |
石谷清政(1588-1656)が、寄進した寺領の目録を作った。 |
泉龍寺文書 |
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1610 |
慶長15年3月上旬 |
谷田部太郎右衛門・安田八右衛門が、雲版を鋳造して寄附した。 |
銅製雲版 |
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1612 |
慶長17年12月9日 |
鉄叟瑞牛が示寂した。開山の袈裟を遺した。 |
過去帳 花鳥文銀欄袈裟 |
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1633 |
寛永10年5月2日 |
泉龍寺は、「武州多東郡泉之郷、寺中御差置、拾石並山在之、」 |
「諸宗末寺帳」 |
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1648 |
慶安元年8月3日 |
石谷市右衛門正勝が、娘の七回忌に、梵鐘を鋳造して寄進した。 |
「新編武蔵風土記稿」 |
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1649 |
慶安2年4月18日 |
石谷貞清の画像に、大徳寺派の琢玄宗璋が賛を書いた。 |
石谷貞清画像 |
1649 |
慶安2年10月17日 |
徳川家光より20石の朱印状が与えられた。 |
徳川家光朱印状 |
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1655 |
明暦元年6月 |
二世欄室関牛が「鉄叟禅師縁記」を編集・執筆した。 |
「鉄叟禅師縁記」 |
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1656 |
明暦2年4月26日 |
石谷兵四郎正清が、母・明巌理永大姉のため石水鉢を寄進した。 |
弁財天池石水鉢 |
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1657 |
明暦3年 |
石川丈山が、石谷清正の死を知り挽詞を板に刻んで寺に納めた。 |
石川丈山扁額 |
1657 |
明暦3年10月8日 |
龍法寺(隆法寺)西源が、地蔵菩薩石像を建てた。 |
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1674 |
延宝2年9月4日 |
南無阿弥陀仏の石注が、弁財天池に建てられた。 |
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三世三明龍寅の代に本堂が火災にあったという。 |
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1683 |
天和3年8月3日 |
四世名庵牛誉代に、木造聖観音像を「再興」した。 |
聖観音像台座銘 |
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1693 |
元禄6年4月 |
石谷市右衛門清長、弁財天・不動明王石祠を建立した。 |
弁財天池石祠 |
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1706 |
宝永3年8月 |
五世別遷牛天の時、本堂が再建された。 |
本堂棟札 |
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1707 |
宝永4年10月15日 |
泉村住人の清入正西禅徳が、回国塔を建てた。 |
三界万霊塔 |
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1716 -17 |
享保~2年7月27日 |
五体本尊の施主落合村川合五兵衛夫妻、寂。 |
位牌、過去帳 |
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1737 |
元文2年11月15日 |
泉村石井佐平次が、回国供養の石造地蔵尊を建てた。 |
石造地蔵菩薩像 |
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1752 |
宝暦2年11月 |
上祖師谷村吉岡宗七郎が、廻地蔵尊の賽銭を以て石橋を造った。
もと大門通り参道にあった。 |
弁財天池正面石橋 |
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1756 |
宝暦4年6月23日 |
涅槃像の施主下布田村佐五左衛門弟小川源兵衛、寂。 |
過去帳 |
1756 |
宝暦6年11月 |
石造六地蔵尊が、建立された。 |
石造六地蔵菩薩像 |
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1771 |
明和8年11月28日 |
喜多見村文治が弁天御供米を持参した。 |
過去帳 |
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1774 |
安永4年7月 |
十一世一峰太円が、大而宗龍を招いて授戒会を開催した。 |
過去帳 |
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1778 |
安永7年11月 |
江戸神田の公事宿上州屋松本弥次兵衛夫妻が本願主となり、
大而宗龍自筆お札などを胎内に籠めた木造延命子安地蔵尊像を安置した。 |
木像地蔵尊胎内文書 松本弥次兵衛等位牌 |
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1782 |
天明2年9月28日 |
天蓋の願主江戸四谷御箪笥町下総屋与兵衛の葬儀。 |
過去帳 |
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1790 |
寛政2年8月 |
泉龍寺境内坪数並諸堂絵図が作成された。 |
境内坪数・諸堂絵図 |
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1792 |
寛政4年2月 |
和泉村荒井清右衛門が、「不許葷酒入山門」の禁牌を建てた。 |
石造禁牌 |
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1794 |
寛政6年3月 |
十二世宗田太牛に替り隠居一峰太円が、泉龍寺由緒を返答した。 |
「由緒口上覚」 |
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1800 |
寛政12年4月 |
巣鴨町・上駒込の地蔵尊講中が、木造宝篋印塔を奉納した。 |
木造宝篋印塔 |
1800 |
寛政12年 |
江戸神田雉子町の斉藤幸雄が、『江戸名所図会』を編集した。
泉龍寺については長谷川雪旦の絵図2点が載っている。 |
『江戸名所図会』 |
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1809 |
文化6年11月 |
中野島村の井田元龍・辻儀兵衛らが、本堂大間の欄間絵を描いた。 |
本堂大間の欄間15面 |
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-1822 |
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十三世徹山大機の代に、駕籠を新調した。 |
駕籠(本堂廊下) |
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1824 |
文政7年4月24日 |
江戸青山・本所・神田・日本橋の地蔵尊講中の連名額。 |
江戸講中連名額 |
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1839 |
天保10年9月 |
十五世耕月元紋の代に、衆寮牌を作った。 |
衆寮牌 |
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1844 |
天保15年4月 |
牟礼村眉山金毛和尚の奉納金と地蔵尊講中の勧化により、梵鐘を再鋳し、
二階建楼門式の鐘楼を建てた。 |
鐘楼 棟札
再鋳大鐘化簿 |
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1847 |
弘化4年 |
開山堂を新たに建てた。 |
開山堂
諸堂修覆入用控幉 |
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1859 |
安政6年 |
十六世機禅戒円の代に、山門(惣門)を再建した(当初瓦葺のち茅葺に)。
大工は、和泉村の白井栄八・片柳庄蔵・飯田角治郎・市川新六。 |
惣門 棟札
御門上屋瓦御注文帳 |
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1868 |
明治元年8月 |
旧幕府朱印状返還の手続きはじまる。 |
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1872 |
明治5年 |
学制施行。泉龍寺聚寮を仮校舎とし、公立観聚学舎が始まった。 |
衆寮牌 |
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1877 |
明治10年 |
庫裏(5間7間)を改築した。茅葺、一部欄干付き中二階。 |
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1889 |
明治22年 |
町村制による狛江村が成立し、村役場を泉龍寺本堂内西の一画に置いた。
(大正12年まで) |
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1913 |
大正2年 |
鐘楼の屋根を茅葺から亜鉛板葺に改めた。 |
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1957 |
昭和32年 |
山門(惣門)屋根を瓦葺に改めた。 |
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1960 |
昭和35年 |
本堂と開山堂を切り離して、大改修し、瓦葺に改めた。
旧庫裏は解体し、小規模に改築した。新たに太鼓橋を設けた。 |
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1974 |
昭和49年 |
枯渇した弁財天池が狛江市史跡に指定され、復元工事をした。 |
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1975-76 |
昭和50-51年 |
鐘楼の屋根を亜鉛板葺から、銅板葺に改めた。 |
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1983 |
昭和58年 |
狛江市が北口再開発第二次調査の発表。
泉龍寺境内の東側一部は再開発用地とする計画。 |
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1987 |
昭和62年8月 |
東京都が、狛江弁財天池緑地保全地区を指定した。 |
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泉龍寺境内を含む。 |
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1992 |
平成4年4月-7月 |
本堂の北側に北書院を増築した。 |
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1993 |
平成5年 |
太鼓橋を廃し、大玄関を旧態に近く改修した。 |
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1993-94 |
平成5年-6年 |
旧隆法寺跡地に泉龍寺別院(斎場)を建設した。 |
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1995 |
平成7年 |
経塚古墳の土地買収と保存整備 |
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2006 |
平成18年 |
山門(惣門)を修復し、瓦葺から銅板葺に改めた。 |
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2006 |
平成18年 |
弁財天池に深井戸を掘削した(白石氏寄進)。 |
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2008-09 |
平成20年-21年 |
本堂の耐震補強工事を行った。 |
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2009-10 |
平成21年-22年 |
庫裏を解体し、客殿を新築した。 |
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2010-11 |
平成22年-23年 |
泉龍寺仏教文庫を新設した。 |
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2012 |
平成22年-24年 |
本堂・鐘楼・開山堂・山門が狛江市文化財に指定された。 |
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