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 仏教文庫と泉龍寺について

 
仏教文庫とは  
 
 
 
 
仏教文庫は、泉龍寺中興開山鉄叟瑞牛大和尚の四百年目の遠忌に、記念事業のひとつとして設立された。

地域の皆様が仏教に親しんでいただけるようにと、館内には泉龍寺の寺宝を常設展示している。
また、図書室には二十三世洪山掌運大和尚夫妻の遺品をはじめとした、仏教への理解に役立てていただけるような書籍を多数そろえている。


図書室の開館日は月・火曜日。
開館時間 10:00~16:30

原則として展示のみの開館日は土・日曜日。
開館時間 10:00~16:00

年末年始 (12/31、1/2~3) ・お盆 (8/12~16) 休館。


入館無料。

▶ご利用案内
▶仏教文庫特別開館日


研究室・講座室の貸室を行っております。

研究室…一時間500円
講座室…一時間1000円
※どちらも開館日・開館時間のみの貸室です。

お問い合わせはこちらまで。


   
  施設概要
鉄筋コンクリート造り2階建て 延べ床面積469.27㎡

1階=図書室、閉架書庫、展示コーナー、ロビー、畳コーナー(児童書)、エントランス、受付

2階=第1資料室、第2資料室、展示室、展示コーナー、講義室、研究室、館長室



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弁財天池 
 
泉龍寺発祥の伝説は、良弁僧正(689-773、奈良東大寺開山)の雨乞いの物語になっていて、伊勢原(神奈川県)の雨降山信仰と結び付く。
境内東南の霊泉(弁財天池)は良弁僧正が雨乞いをした折に湧き出したと言われ、昭和初年頃までは大干魃の夏は旧和泉村の人々がこの泉池に入って雨乞いをすると、必ず霊験があった。
枯れることのない豊かなわき水が、昭和30年代まで和泉・岩戸・猪方・駒井・喜多見・宇奈根の水田を潤していた。

   
  江戸名所図絵 
『江戸名所図会』は、江戸の観光案内書で、全20冊。
寛政12年(1800)江戸神田雉子町の草分名主斉藤幸雄の編著であるが、幸孝の増補、幸成の校訂を経て、文政12年(1829)に完成した。
絵図は、画家長谷川宗秀(雪旦)による。
出版し終わったのは天保7年(1836)であった。

和泉村泉龍寺については、絵図が2点あり、境内展望の図と弁財天池の図である。

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泉龍寺境内坪数並びに諸堂絵図
 
泉龍寺の御朱印地境内の範囲と諸堂の配置を示す絵図。寛政2年(1790)に作成され、寺社奉行に提出した絵図の下書きである。
建物は、本堂・惣門は現在と同じ位置にあり、東側に方丈・庫裏・馬家など、西側に修行僧が生活する衆寮。雪隠(トイレ)は東と西にある。鐘堂(鐘楼)は、天保15年(1844)に再建したが、それ以前のためまだ小さく、今のように中央でなく東にそれていた。
南方向にまっすぐ参道が伸び、東南の一角に清水(弁財天池と中島)がある。
慶長14年(1609)に小泉次太夫が掘削した六郷用水堀は西から東北へ斜めに横切って境内を二分した。六郷用水の分流が、境内の南を縁どるように流れ、その南側に少し水田がある。
境内地の広くは畑や樹林となっていた。石谷氏の廟所と諸旦那の墓地もある。境内の西は田中橋付近まで、東は、今の狛江駅北口ロータリー大型交番と泉の森会館あたりまで。
締めて一万六千九百七十二坪と朱筆で書き入れてある。明治以後は、境内と墓地合わせて約四千五百坪。

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  まわり地蔵
江戸中期、18世紀頃に子授け・安産・子育ての祈願に応える子安地蔵尊が本堂内陣に安置された。
十八世紀後半、延命子安地蔵尊の巡行仏としての信仰が急に盛んとなり、江戸や近郊農村に多くの講中が組織された。
毎月25日に寺を出発し、翌月23日の送り込みで寺に戻るとその晩は信徒が参籠し、翌日の縁日にかけて山内は余興や露店でにぎわった。第二次世界大戦前まで盛んだった。

詳しくはこちらにて。

   
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