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まわり地蔵尊について

木造延命子安地蔵菩薩坐像 厨子入り

本願主は、江戸神田の公事宿(くじやど)の上州屋松本弥次兵衛の夫妻。
安永7年(1778)11月、子授け・安産・子育ての祈願に応える子安地蔵尊が本堂に安置された。
泉龍寺十一世一峰太円(1800年寂)の時代である。

胎内に大而宗龍(だいにそうりゅう)(良寛に尊敬された僧、1717-1789)自筆のお守りや、江戸牛込大龍寺から伝えられた小さな秘仏などが納められている。
厨子は、寛政3年(1791)3月縁日に江戸本所講中が奉納した。

毎月25日に寺を出発し、講中の宿に一泊ずつして、翌月23日に寺に戻る、巡行仏として盛んとなった。寺に戻ると、その晩は信徒が参籠し、翌日の縁日にかけて山内は余興や露店でにぎわい、第二次世界大戦前まで盛んだった。
講中は、四谷・青山・本所・神田・日本橋など江戸市中や上祖師谷・練馬・十条・立川・砂川・山口・所沢・宮寺など近郊広範に広がっていた。

現在は本堂須弥壇上に安置されている。





 
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延命子安地蔵尊大厨引寄附人連名額

横長の額で、文字のある鏡板部分は11枚の板を矧寄せ、表面は黒漆塗を施し、寄附者の居住地名と氏名を朱文字で陰刻する。額縁部分は朱漆塗で四周に銅板の八双金具で飾る。

江戸青山在住の一人と本所・神田・日本橋の七人の武家・商家が世話人となり、江戸城下や近郊に居住する総勢87名によって、地蔵尊の大厨引(大水引幕であろうか)の寄付を記念して、文化七年(1810)に泉龍寺大岳和尚の時に宝前に奉懸された額である。

江戸時代後期に泉龍寺の延命子安地蔵信仰が近くの農村だけでなく、江戸中に広まっていたことを示す資料として大変興味深い。




 
 
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